株式会社TIMEWELLの濱本です。
私たちの生活は、見えない「鎖」、すなわちサプライチェーンによって支えられています。朝食の卵から、通勤に使う自動車、仕事で使うパソコン、そして夜にくつろぐソファまで、あらゆる製品が複雑なグローバルサプライチェーンを経て、私たちの手元に届けられています。しかし近年、この生命線ともいえるサプライチェーンは、パンデミック、地政学的緊張、異常気象など、かつてない規模の混乱に見舞われています。卵の価格が急騰し、トイレットペーパーが棚から消え、新車の納車が大幅に遅れるといった事態は、サプライチェーンがいかに私たちの日常と密接に結びついているか、そしてその脆弱性を浮き彫りにしました。このような状況下で、企業はどのようにリスクを管理し、安定した供給体制を維持していくべきなのでしょうか?
本記事では、ハーバード・ビジネス・スクールのウィリー・シー教授による、インターネット上の様々な疑問に答える形式の解説を元に、現代のサプライチェーンが直面する課題、その背景にあるメカニズム、そして今後の展望について深く掘り下げていきます。関税の仕組みから、貿易戦争の現実、地政学的リスク、そしてサプライチェーンマネジメントの進化まで、ビジネスパーソンが知っておくべき要点を網羅的に解説し、激動の時代を乗り切るためのヒントを提供します。
サプライチェーン寸断の現実:卵、トイレットペーパーから半導体、関税問題まで 地政学リスクとサプライチェーン:貿易摩擦、チョークポイント、資源依存 サプライチェーンマネジメントの進化と未来:最適化からレジリエンスへ まとめ サプライチェーン寸断の現実:卵、トイレットペーパーから半導体、関税問題まで
現代社会を支えるサプライチェーンは、時に予期せぬ要因によって寸断され、私たちの生活や経済活動に大きな影響を与えます。身近な商品の価格高騰から、国際的な貿易摩擦まで、その具体的な事例と背景にあるメカニズムを見ていきましょう。
まず、多くの家庭で消費される「卵」の価格高騰について考えてみます。シー教授が指摘するように、鶏肉と卵ではサプライチェーンが異なります。卵を産む雌鶏(採卵鶏)が鳥インフルエンザの大きな被害を受け、多数が殺処分されたことが供給逼迫の直接的な原因となりました。供給量が減少すれば、価格が上昇するのは経済の基本原則です。しかし、問題はそれだけではありません。採卵鶏の飼料に含まれる重要な栄養素「ビオチン」の多くが中国からの輸入に依存しているという事実も見逃せません。もし米中間の貿易戦争が激化し、中国がビオチンの輸出を制限するような事態になれば、米国内の採卵鶏の生産性は著しく低下し、卵の供給はさらに不安定になる可能性があります。これは、食料安全保障という観点からも重要な課題であり、特定の国への過度な依存がもたらすリスクを示唆しています。
次に、パンデミック初期に多くの人々を混乱させた「トイレットペーパー不足」の事例を分析します。シー教授によれば、トイレットペーパーの需要は年間を通じて比較的安定しており、季節変動が少ないという特徴があります。また、経済学的に「非貿易財(not very tradable)」であることも重要なポイントです。つまり、製品価値に対して体積が大きく輸送コストがかさむため、長距離輸送には向きません。ニューヨークで消費されるトイレットペーパーが中国から輸入されることは考えにくく、通常は北東部や中部大西洋岸など、比較的近隣の地域で生産されます。このような特性から、トイレットペーパーのサプライチェーンは、無駄を省き、常に高い稼働率(90〜95%)で運営されるように最適化されています。しかし、この「最適化」されたタイトな供給網は、裏を返せば「遊び(slack)」が少ないことを意味します。パンデミックのような未曽有の事態で消費者が一斉に買いだめに走ると、需要が急増し、供給が追い付かなくなります。生産者は増産体制を敷きますが、需要が供給能力を上回れば、店頭から商品は消えてしまうのです。この事例は、効率性と安定供給(レジリエンス)のバランスがいかに重要かを示しています。
さらに深刻な影響を及ぼしたのが、「半導体不足」です。特に自動車産業は大きな打撃を受けました。パンデミック初期、自動車販売が急減したため、多くの自動車メーカーは半導体を含む部品の発注をキャンセルしました。しかし、その後、予想よりも早く需要が回復すると、メーカーは再び半導体を発注しようとしました。ところが、その間に半導体メーカーは、キャンセルされた自動車向けラインの生産能力を、需要が旺盛な家電製品やコンピュータ向けに振り向けてしまっていたのです。自動車メーカーは必要な半導体を確保できなくなり、生産ラインを停止せざるを得なくなりました。ピックアップトラックのような複雑な製品は、一つの部品が欠けるだけで完成させることができません。現代の自動車は、メキシコ製のパワーステアリングアセンブリや、インド・中国製の鋳造部品など、世界中から調達された部品で構成されており、サプライチェーンのグローバル化と複雑化が、一つの部品不足の影響を増幅させる要因となっています。
こうした具体的な品不足に加え、国際貿易の大きな変動要因となっているのが「関税」です。シー教授の説明によれば、関税とは輸入品の価格に上乗せされる追加料金、つまり税金です。例えば、約14000円の価値がある輸入品に25%の関税が課されれば、輸入者は米国政府に約3500円を支払う必要があります。そして、このコストは最終的に製品価格に転嫁され、私たち消費者が負担することになります。トランプ前政権は、輸入品を高くすることで国内生産を奨励しようと、特に中国製品に対して高い関税を課しました。バイデン政権もその多くを維持し、一部追加措置も講じています。しかし、関税によって国内生産を促進するという考え方には限界があります。シー教授が指摘するように、米国内の生産コスト、特に人件費は依然として非常に高いのが現実です。メキシコや中国と比較すると、4倍から5倍の差があります。例えばiPhoneの組み立てには、中国では約4時間の労働時間が必要とされ、時給約860円と仮定すると約3400円のコストです。一方、米国で同じ作業を時給約5700円で行えば、約23000円ものコストがかかります。これほどのコスト差があれば、単純な組み立て作業を米国に戻すことは現実的ではありません。関税を課しても、コスト競争力のある製品を国内で生産できる分野は、労働集約的でない製品、例えばジェットエンジンのように製品価値全体に占める人件費の割合が比較的低い分野に限られてくるでしょう。貿易戦争は、国内産業保護を目的としながらも、生産コストの上昇や消費者の負担増といった副作用をもたらす複雑な問題なのです。
地政学リスクとサプライチェーン:貿易摩擦、チョークポイント、資源依存
グローバルサプライチェーンは、効率性とコスト削減を追求する一方で、国際的な政治・経済情勢、地理的な制約といった「地政学リスク」の影響を常に受けています。特定の地域における紛争や緊張の高まりは、瞬く間に世界の物流網を麻痺させ、経済に深刻な影響を与える可能性があります。
最近の顕著な例が、紅海におけるフーシ派による商船への攻撃です。シー教授が解説するように、フーシ派はスエズ運河とインド洋を結ぶ重要な海峡(バブ・エル・マンデブ海峡)に面した戦略的な位置を占拠し、攻撃を行いました。このルートは、アジアとヨーロッパを結ぶ主要な貿易レーンであり、特に中国からヨーロッパへ向かうコンテナ船の多くが利用しています。攻撃の激化により、多くの海運会社はスエズ運河の通航を断念せざるを得なくなりました。その結果、これらの船舶はアフリカ大陸南端の喜望峰を迂回するルートを選択することになり、航海日数が10日から12日程度増加しました。この迂回は、単に輸送時間が長くなるだけでなく、世界のコンテナ船輸送能力の約12%が、迂回航行のために拘束されるという事態を引き起こしました。これは、輸送コストの上昇と供給遅延に直結し、世界経済に大きな衝撃を与えました。過去には、ソマリア沖の海賊問題(映画『キャプテン・フィリップス』でも描かれました)も、同様に主要な貿易レーンにおける脆弱性を示しました。このように、特定の「チョークポイント」と呼ばれる地理的に狭雑な海上交通路は、紛争やテロ、海賊行為などによって容易に封鎖され、グローバルサプライチェーン全体に波及効果をもたらすリスクを常に抱えています。
中国自身も、地政学的な脆弱性を深く認識しています。シー教授が言及する「マラッカ・ジレンマ」は、中国のエネルギー安全保障上の大きな懸念事項です。中国が輸入する石油の大部分は、マレーシアとインドネシアに挟まれたマラッカ海峡(シンガポール沖)を通過する必要があります。この海峡が何らかの理由で封鎖されれば、中国経済は深刻な打撃を受けます。また、中国は東シナ海・南シナ海に面した長い海岸線を持つ一方で、日本から台湾、フィリピンへと連なる島々(第一列島線)によって太平洋へのアクセスを地理的に制約されていると感じています。このような地理的条件が、中国の海洋進出や港湾インフラへの巨額投資の背景にあると考えられます。地理を理解することは、各国の戦略や国際関係、そしてサプライチェーンのリスクを読み解く上で不可欠です。
シー教授は、パナマ運河やグリーンランドの重要性にも触れています。パナマ運河は、太平洋と大西洋を結ぶ短絡路として、長年にわたり世界の海上輸送に貢献してきました。一方、グリーンランドは、地球温暖化による北極海の氷の融解が進むにつれて、新たな注目を集めています。北極海航路は、アジアとヨーロッパを結ぶ距離を大幅に短縮できる可能性があり、すでに試験的な航行が行われています。さらに、グリーンランドには、レアアース(希土類元素)をはじめとする豊富な鉱物資源が眠っているとされ、その戦略的重要性は増すばかりです。トランプ前大統領がパナマ運河やグリーンランドに関心を示した背景には、こうした交易路と資源確保の観点があったと考えられます。
資源、特にバッテリー製造に不可欠なリチウムや、高性能モーターに使われるレアアース(ネオジムなど)のサプライチェーンも、地政学リスクと密接に関連しています。リチウムの多くは南米チリなどで採掘されますが、その精製能力は中国が世界的に大きなシェアを握っています。レアアースについても同様で、かつて世界最大のレアアース鉱山は米国カリフォルニア州のマウンテンパスにありましたが、中国が精製技術への投資を進めた結果、現在では世界のレアアースサプライチェーンにおいて中国が支配的な地位を占めています。米国産レアアースも、多くが中国で精製され、世界に販売されているのが実情です。自動車の電動化が進む中で、これらの重要鉱物の安定確保は、国家の経済安全保障にとって死活問題となりつつあります。RAV4 Primeのようなハイブリッド車や電気自動車の納期遅延の背景にも、こうしたレアアースやバッテリー関連部材の供給問題が関わっているのです。
隣国カナダとの関係も、米国のサプライチェーンにとって重要です。シー教授が指摘するように、米国はカナダからポタッシュ(カリ肥料)、石油、アルミニウム、鉄鋼など多くの資源や製品を輸入しています。特にポタッシュは、米国の農業にとって不可欠な肥料であり、その供給をカナダに大きく依存しています。もし米国がカナダ製品に関税を課し、カナダが報復としてポタッシュの輸出を制限すれば、米国の農業は大きな打撃を受けます(もちろん、カナダの輸出業者も損害を被ります)。アルミニウムは、カナダの豊富な水力発電を利用して安価に生産されています。石油については、アルバータ州のオイルサンドから産出される重質油が、米国のメキシコ湾岸地域の製油所にパイプラインで送られ、精製されています。これらの製油所は、カナダ産の原油の特性に合わせて最適化されているため、相互依存関係が非常に強いと言えます。このように、一見安定しているように見える隣国との関係も、貿易摩擦や政策変更によってサプライチェーンに影響を与える可能性があることを認識しておく必要があります。
サプライチェーンマネジメントの進化と未来:最適化からレジリエンスへ
サプライチェーンは、単に物を運ぶだけでなく、需要と供給をいかに効率的かつ安定的に結びつけるかという「サプライチェーンマネジメント」の概念によって成り立っています。その歴史は古く、現代に至るまで常に変化と進化を続けてきました。
シー教授は、グローバル経済の発展を歴史的なタイムラインで示しています。古代ローマ時代には塩などが交易され、中世にはヴェネツィア商人やマルコ・ポーロがシルクロードを通じて絹や陶磁器をヨーロッパにもたらしました。1700年代には、帆船による大航海時代が到来し、アフリカ経由での東洋貿易や、アメリカ大陸との金やラム酒の交易が盛んになります。しかし、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間は、高い関税障壁などにより内向きな経済政策が取られ、貿易は停滞しました。第二次世界大戦後、再び貿易は拡大し、特に1990年代後半から2010年頃にかけて、グローバリゼーションが加速します。この時期、人件費の安さを求めて、繊維、衣料品、消費財、玩具などの工場が、米国から中国などの低コスト地域へと大規模に移転しました。当時の中国の人件費は米国の20分の1程度だったと言われています。しかし、2016年頃からは米中貿易戦争が始まり、関税の応酬や、企業が生産拠点を中国から他国へ移す動き(チャイナ・プラスワン)が見られるようになりました。
このような歴史的変遷の中で、「サプライチェーンマネジメント」はどのように考えられてきたのでしょうか。シー教授は、その本質を「需要と供給のマッチング」であると定義しています。つまり、顧客が何を、いつ、どれだけ欲しているかを正確に把握し、それに合わせて生産から輸送までの全てのステップを最適化することです。サプライチェーンの専門家は、以下の様な多岐にわたる要素を考慮し、計画を立て実行する必要があります。
サプライヤーネットワークの管理:製品に必要な部品や原材料をどこから調達するか、その信頼性やリスクはどうか。
輸送・物流の最適化: 部品や製品をどのように、どのルートで運ぶのが最も効率的か。
在庫管理:需要変動やリードタイムを考慮し、適切な在庫水準を維持する。欠品リスクと在庫コストのバランスを取る。
需要予測:過去のデータや市場トレンド、季節変動(例:新学期商戦、ホリデーシーズン、ハロウィーン前のキャンディ需要急増)などを分析し、将来の需要を予測する。
生産計画:需要予測に基づき、いつ、何を、どれだけ生産するかを計画する。
かつては、コスト削減と効率化を最優先する「ジャストインタイム(JIT)」方式が主流でした。これは第二次世界大戦後の資源が乏しい日本でトヨタ自動車が生み出した考え方で、「必要なものを、必要なときに、必要なだけ」供給することを目指します。無駄な在庫を持たないことでコストを削減するこの方式は、長年にわたり製造業のスタンダードとされてきました。しかし、シー教授は、JITにも限界があることを指摘します。2011年の東日本大震災では、エンジン制御用マイクロコントローラーの世界シェア45%を占めていた工場が被災し、トヨタの生産ラインが長期間停止しました。この経験からトヨタは、半導体のような重要部品が地政学的・地理的に不安定な地域に集中しているリスクを再認識しました。そして、単に「必要な時」だけでなく、「予期せぬ中断が発生した場合に、代替供給を確保するまでのリードタイム」を考慮して在庫を持つことの重要性を学びました。つまり、「ジャストインタイム+リードタイム」という考え方です。パンデミック初期に、トヨタが競合他社よりも長く生産を継続できたのは、この教訓に基づき、十分な在庫を確保していたからだと考えられます。
英国のKFCが数年前にチキンの供給を停止した事例も、効率性とレジリエンス(回復力、しなやかさ)のトレードオフを示す好例です。KFCは物流ネットワークを変更し、配送業者をDHLに一本化、さらにチキンの配送拠点を1つの倉庫に集約しました。これはコスト削減には繋がりましたが、ある日、その倉庫周辺で大規模な交通事故が発生し、トラックが一切出入りできなくなってしまいました。結果、英国内の多くのKFC店舗でチキンが提供できなくなるという事態に陥ったのです。もし複数の倉庫があれば、1つが機能しなくなっても他の拠点でカバーできたかもしれません。コスト効率を追求するあまり、サプライチェーンの脆弱性を高めてしまった典型的な例と言えるでしょう。
現代のグローバルサプライチェーンを支える上で欠かせないのが、巨大な港湾とコンテナ輸送システムです。シー教授は、港湾の規模において中国が米国を圧倒している現状を指摘します。特に上海や寧波といった中国東海岸の港は、長江デルタ地帯という巨大な製造業ハブを背景に、政府による1990年代後半からの大規模なインフラ投資によって世界最大級の規模と効率性を誇ります。シー教授が訪れた深圳の港では、1日に2万台ものトラックがコンテナを搬入するといいます。これは、米国の全ての港と国境を合わせた1日のコンテナ輸入量(9万〜10万個)と比較しても、その規模の大きさが分かります。上海港に至っては、水深を確保するために東シナ海に人工島を建設し、巨大な橋で結ぶという徹底ぶりです。一方、米国の港湾施設は、大型船を同時に接岸できるバース(停泊場所)の数が限られています。米国最大のロサンゼルス・ロングビーチ港でも、混雑時にはカナダのプリンスルパート港などに貨物が迂回することもあります。コンテナ船自体も、かつては50個程度のコンテナしか積めませんでしたが、現在では最大の船で24,000個ものコンテナを積載し、全長は400メートルにも及びます。船舶の大型化による効率化は進んでいますが、港湾インフラの整備がそれに追いついていないという課題も存在します。スエズ運河で大型コンテナ船「エバーギブン」が座礁し、世界の物流を麻痺させた事故は、インフラの限界を象徴する出来事でした。
世界には数億個もの輸送コンテナが存在すると推測されます。その多くは、鉄鋼コストの安い中国で製造されています。コンテナは中国から製品を積んで米国やヨーロッパに運ばれますが、復路で積む製品が少ないため、空のコンテナが輸出先の国々に大量に滞留するという問題も発生しています。使われなくなった中古コンテナは、1個あたり約14万円程度で販売され、倉庫や、シー教授が冗談めかして考えたように、移動式アパートなどに再利用されることもあります。
近年急速に成長しているオンラインマーケットプレイス、TemuやSheinのビジネスモデルも、サプライチェーンの観点から興味深いものです。シー教授によれば、これらの企業は自社工場を持たず、消費者の需要と中国のサプライヤーを直接結びつける「ピュアサプライチェーンカンパニー」です。彼らが低価格を実現できる理由の一つに、米国の「デミニマス免除(de minimis exemption)」という輸入規制の例外措置があります。これは、約11万円以下の輸入品については、煩雑な関税手続きや書類提出が免除されるというものです。TemuやSheinの商品の多くはこの基準内に収まるため、迅速かつ低コストで消費者に直接配送することが可能です。現在、この免除措置を利用した小口貨物は1日に300万から400万個も米国に流入しており、航空貨物輸送量の大きな部分を占めるまでになっています。軽量で低価格な商品を航空便で直接送るという、従来の常識を覆すサプライチェーンモデルと言えるでしょう。
半導体の中でも、特にAI開発に不可欠なGPU(グラフィック・プロセッシング・ユニット)の不足も深刻な問題です。これは主に、AI関連の需要が爆発的に増加していること、そしてその高性能GPUの生産能力の大部分(約95%)を台湾のTSMC(台湾積体電路製造)という一企業が握っていることに起因します。最先端のGPUを製造する工場(ファブ)の建設には、約3兆円という巨額の投資と、約2年の期間が必要です。TSMCは、GPUだけでなく、iPhoneやPC、データセンター向けサーバー用のチップも製造しており、限られた生産能力に対して世界中から注文が殺到している状態です。これは、特定の企業や地域への依存が供給リスクを高める典型例と言えます。
最後に、製造業の国内回帰(リショアリング)の課題について触れておきましょう。関税や地政学リスクの高まりを受けて、米国などでは製造業を国内に戻そうという動きがあります。しかし、シー教授が指摘するように、これは容易なことではありません。まず、高コスト国である米国内で競争力を持つためには、労働集約的でない分野や、自動化などによって高い生産性を実現できる分野に焦点を当てる必要があります。さらに、かつて海外に移転した産業(例えばノースカロライナの家具産業)では、熟練労働者がすでに他の職に移っており、新たに人材を育成するための時間とコストがかかります。そして最も大きな問題は、投資回収の難しさです。工場を海外(低コスト国)に移転する際は、人件費削減などのコストメリットによって、比較的短期間で投資を回収できました。しかし、低コスト国から高コスト国へ生産を戻す場合、コスト削減効果は期待できず、むしろ製品価格は上昇します。工場建設、人材採用・育成といった初期投資を、何によって賄うのかという根本的な課題が存在するのです。国内製造業の復活は、単なる掛け声だけでは実現が難しい、複雑な問題と言えるでしょう。
まとめ
本記事では、ハーバード・ビジネス・スクールのウィリー・シー教授の解説に基づき、現代のグローバルサプライチェーンが直面する多様な課題とその背景にあるメカニズムを探ってきました。卵やトイレットペーパーといった身近な商品の供給不安から、半導体不足、関税問題、貿易戦争、地政学リスク、そしてサプライチェーンマネジメントの進化まで、その複雑性と重要性が浮き彫りになったことと思います。
サプライチェーンは、もはや単なる「物の流れ」ではなく、国際政治、経済、技術、環境、そして人々の生活そのものと密接に絡み合った、ダイナミックで変化し続けるエコシステムです。パンデミックや紛争といった予期せぬ「ショック」は、効率性のみを追求してきた従来のサプライチェーンモデルの脆弱性を露呈させました。特定の国や地域、企業への過度な依存は、大きなリスクとなり得ます。
今、企業や国家に求められているのは、コスト効率と安定供給のバランスを取り、変化にしなやかに対応できる「レジリエンス(回復力)」を備えたサプライチェーンの構築です。シー教授が指摘するように、「ジャストインタイム」に「リードタイム」の概念を加えること、つまり不測の事態に備えて適切な在庫を持つことや、供給元の多様化、生産拠点の地域分散(リージョナライゼーション)などが、その具体的な方策として考えられます。
しかし、グローバルサプライチェーンが完全に崩壊し、各国が全てを自国で賄うような時代が来ると考えるのは、シー教授も指摘するように、やや悲観的すぎるかもしれません。私たちはすでに深く相互に依存しており、国際的な協力なしに現代の経済活動を維持することは困難です。今後は、米国・欧州・日本・韓国といった価値観を共有する国々との連携強化や、中国との関係性を維持しつつリスクを管理していくといった、より複雑な戦略が求められるでしょう。
国内製造業の回帰も重要なテーマですが、コストや人材確保の課題を乗り越えるためには、自動化技術への投資や、高付加価値製品への特化など、戦略的な取り組みが不可欠です。
結論として、サプライチェーンマネジメントは、今後ますますその重要性を増していく分野です。企業は、常に最新の情報を収集し、リスクを評価し、変化に迅速に対応できる体制を整えなければなりません。地政学的な動向、技術革新、消費者行動の変化を注視し、サプライヤーとの連携を強化し、データ分析に基づいた意思決定を行うことが、不確実性の高い時代を乗り切る鍵となるでしょう。グローバルサプライチェーンの未来は、決して平坦ではありませんが、課題を理解し、適切な戦略を実行することで、より強靭で持続可能なシステムを築いていくことが可能です。
