こんにちは、株式会社TIMEWELLの濱本です。
輸出管理の仕事をしていると、どこかで必ずこの事件の名前を聞きます。大川原化工機事件です。横浜の中堅メーカーの役員3名が逮捕され、そのうちの1人が勾留中に亡くなり、のちに裁判所が「逮捕も起訴も違法だった」と認めた。輸出管理という、ふだんは地味で目立たない実務が、人の人生を左右しうるのだと突きつけた出来事でした。
亡くなった方がいる事件です。私はできるだけ事実だけを、確定した裁判所の判断と一次資料にもとづいて書きます。そのうえで、この事件が輸出管理の実務、とりわけ「該非判定」とどうつながっているのかを考えたいと思います。センセーショナルに消費するためではなく、同じことを二度と起こさないために、何を学べるかという視点で読んでいただけたらと思います。
何が起きたのか
大川原化工機は、横浜市都筑区にある噴霧乾燥機(スプレードライヤー)のメーカーです。従業員はおよそ90人。噴霧乾燥機というのは、液体を瞬時に微細な粉末へ乾燥させる装置で、粉ミルクやインスタントコーヒー、医薬品の原末などをつくる、ごくありふれた産業機械です。国内では高いシェアを持つ会社だと報じられています。
2020年3月11日、警視庁公安部が同社の役員3名を外為法違反の疑いで逮捕しました^1。容疑は、経済産業大臣の許可を得ずに、生物兵器の製造にも転用できる噴霧乾燥機を中国へ輸出したというものです。3月31日には起訴されました。逮捕されたのは、大川原正明社長、島田順司取締役、そして顧問だった相嶋静夫さんの3名です^2。
3名は長期にわたって勾留されます。このうち相嶋さんは、勾留中の2020年10月に進行した胃がんと診断されました。弁護側は繰り返し保釈を求めましたが、請求は7回すべて退けられます(遺族はのちに8回だったと述べています)。相嶋さんは治療の機会を十分に得られないまま、2021年2月7日に72歳で亡くなりました。自分にかけられた容疑が取り消される日を、知ることなく^2。
その公訴の取り消しは、相嶋さんの死から約半年後に訪れます。2021年7月30日、東京地検は初公判の直前になって公訴を取り消しました^3。無罪判決が出たのではありません。検察の側が「輸出規制の対象に該当するか疑いが生じた」として、自ら訴えを取り下げたのです。逮捕から起訴、そして取り消しまで、会社と3人の役員が背負わされたものの重さを思うと、言葉を選ぶのが難しくなります。
該非判定の属人化を、AIで解消する。
経産省2024年度データによれば、外為法違反の52%は該非判定起因。TRAFEEDなら、判定時間を約7割削減し、判定根拠を構造化データで保存できます。
争点は、たった一文の「殺菌」の解釈だった
なぜこんなことが起きたのか。核心にあるのは、輸出管理の実務でいう「該非判定」です。該非判定とは、自社が輸出しようとする貨物や技術が、法令の規制リストに該当するのかしないのかを判断する作業を指します。ここを一つ間違えれば、許可なく規制品を出してしまう違反にもなれば、逆に規制対象でないものを規制品扱いしてしまうことにもなる。輸出管理の入り口であり、いちばん神経を使うところです。この判定の考え方そのものについては、明らかガイドラインを解説した記事でも触れています。
大川原化工機の事件で問われたのは、噴霧乾燥機がこの規制リストに「該当するか」でした。根拠となるのは、外為法48条1項、輸出貿易管理令の別表、そして貨物等省令という省令です。この省令は、規制対象となる噴霧乾燥器の条件を3つ挙げています。水分の蒸発量が一定の範囲にあること、平均粒子径10マイクロメートル以下の粉末をつくれること、そして「定置した状態で内部の滅菌又は殺菌をすることができるもの」であること[^4]。この3つをすべて満たすと、規制対象になります。
争いになったのは、3つ目の要件でした。「定置した状態で内部の殺菌ができる」とは、いったい何を指すのか。捜査機関は、装置のヒーターで内部を空焚きして高温にすれば大腸菌O157などが死ぬのだから、この加熱(乾熱)による殺菌も要件に含まれる、と解釈しました。実験で装置内部が110度以上に達したことを、その根拠としています[^5]。
これに対して会社と弁護側は、まったく違う読み方を示します。そもそもこの規制は、生物・化学兵器の拡散を防ぐためのオーストラリア・グループという国際的な枠組みの合意を、日本の法令に落とし込んだものです。その国際基準でいう「殺菌」は、殺菌効果のある化学薬品を使って装置内の微生物の感染能力を壊すことを指しており、加熱のような物理的な方法は含まない。しかも「定置した状態で」というのは、装置を分解せずに内部を薬液で洗浄・殺菌できる構造を備えていることを意味する。自社の輸出した機械はそうした構造を持たないから、そもそも規制対象ではない、という主張です[^4]。
言葉にすればわずかな解釈の差です。けれど、この一文をどちらに読むかで、ありふれた民生用の乾燥機が「兵器転用可能な規制品」になるか、ただの機械のままでいるかが分かれる。該非判定という作業の難しさと怖さが、ここに凝縮されています。
どこが「冤罪」と呼ばれたのか
この事件が冤罪と呼ばれるのは、単に解釈が分かれたからではありません。捜査そのものに、裁判所が違法と断じるほどの問題があったからです。
東京高裁は、逮捕について「合理的な根拠が客観的に欠如していることが明らか」であり、国家賠償法上も違法だと認定しました[^6]。理由はいくつもあります。装置の内部には温度が上がりにくい箇所があると、従業員や相嶋さんらから指摘されていたのに、その最も温度の低い場所を実測するという当然の追加捜査を、捜査機関は行いませんでした。弁護側が後に実験すると、粉体がたまる箇所は35度前後までしか上がらず、殺菌に必要な温度には遠く届かなかったといいます。さらに、規制要件の解釈について経済産業省の担当課から問題点を指摘されながら、再考せずに逮捕に踏み切った。捜査側の内部にも「逮捕は相当ではない」という慎重論があったことが、複数の警察官の証言で明らかになっています[^6]。
とりわけ世間を驚かせたのは、現職の警察官自身の証言でした。2023年6月、国家賠償請求訴訟の法廷で、捜査に関与した警視庁公安部の警部補が、原告側の「でっち上げではないか」という問いに対し「まあ、捏造ですね」と答え、逮捕勾留の必要性についても「必要なかったです」と述べたのです[^7]。捜査を担った側の人間が、法廷で自らこう証言した。この重みは、なかなか言葉にできません。
翌年の控訴審では、捜査の背景もさらに明るみに出ます。当初は捜査機関の解釈に否定的だった経済産業省が、途中から捜査側の解釈を容認するようになった経緯について、判決は、公安部の幹部から経済産業省の上層部へ働きかけがあったと認定的に扱いました[^8]。組織の力学のなかで、一つの規制解釈が動かされていったことがうかがえます。ここは、輸出管理という制度の根っこにかかわる話です。
裁判の結果はどうだったのか
刑事事件は、先に触れたとおり2021年7月の公訴取り消しで幕を閉じました。有罪判決を受けた人は誰もいません。
一方、会社と役員、そして相嶋さんの遺族は、国と東京都を相手取って国家賠償請求訴訟を起こします。第一審の東京地裁は2023年12月27日、警察官の逮捕・取り調べ、検察官の勾留請求と起訴を、いずれも違法と認定し、国と東京都に約1億6,200万円の支払いを命じました[^9]。第二審の東京高裁は2025年5月28日、この判断を維持したうえで、要件の解釈をめぐる捜査機関の立場を一審より踏み込んで「合理性を欠く」と評価し、賠償額を約1億6,600万円に増額しています[^10]。国も東京都も上告せず、判決は2025年6月に確定しました[^11]。
判決の確定後、当局は検証に動きます。2025年8月、警察庁・警視庁・最高検察庁がそれぞれ検証報告書を公表しました。警視庁は捜査指揮の不在などを問題と認め、退職者を含む19人を処分または処分相当としています。最高検は、関係する法令や省令を正確に解釈せず捜査が不十分だったなどの問題点を認めた一方、担当検事の懲戒処分は見送りました[^12]。同じ月、警視庁の副総監らが相嶋さんの遺族を訪ね、違法な捜査と逮捕、そして治療機会を損なったことについて謝罪しています。遺族は「謝罪は受け入れるが、許すことはできない」と述べたと報じられています[^12]。
なお、相嶋さんの遺族は、勾留や保釈却下という裁判官の判断そのものの違法を問う別の訴訟も国に対して起こしており、こちらは本稿の時点でまだ続いています。経済産業省は高裁判決の直後、規制の文言があいまいだったことを踏まえ、省令の改正を含めて規制内容を明確にする方針を表明しました[^13]。
この事件と輸出管理業務のつながり、そしてこれから
私がこの事件からいちばん重く受け止めているのは、該非判定はプロでも間違えるという事実です。しかもここで「プロ」とは、企業の担当者だけではありません。捜査機関も、一時は経済産業省も、規制要件の読み方を誤ったと裁判所に認定されました。輸出管理の判定は、それほど微妙で、解釈の幅があり、条文と国際的な枠組みの両方を突き合わせないと答えが出ない領域なのです。
だとすれば、企業が身を守るために必要なのは、判定の「正しさ」だけではありません。なぜその判定に至ったのか、どの条文とどの国際基準にもとづき、どんな情報を根拠にしたのかを、後から誰にでも説明できる形で残しておくことです。大川原化工機は、自社の機械が規制に該当しないと考える相応の根拠を持っていました。それでも、規制の文言があいまいで、通達が周知されておらず、経済産業省が公表していたマトリクス表にも記載がなかったと判決は指摘しています[^13]。判断の前提となる情報そのものが、企業に十分届いていなかったのです。
ここに、輸出管理業務を地道に固めておくことの意味があります。最新の法令解釈や国際的な枠組みの動きを反映し、判定の根拠を記録に残し、属人的な思い込みに頼らず、監査で問われても一貫して説明できる状態をつくる。それは、本当の違反を防ぐためであると同時に、いざ疑いを向けられたときに「当社はこう考え、この根拠で判定した」と示せる備えでもあります。こうしたリスクをそもそも自社に近づけないための、地味だけれど確かな防波堤です。
私たちが提供している輸出管理AIエージェントTRAFEEDは、この「根拠を残す」という部分を強く意識してつくりました。単に懸念度を判定するだけでなく、なぜその判定になったのかを、参照した情報源のURLまで添えてエビデンスとして示します。各国の規制改定も追いかけて反映するため、判断の前提が古いまま放置される事態を防ぎやすくなります。もちろん、AIが最終的な該非判定を代わりに下すわけではありません。最後の判断は、貴社の輸出管理責任者が行うべきものです。TRAFEEDが担うのは、その判断を支える情報の収集と整理、そして根拠の可視化です。この事件が教えるように、判定はプロでも誤る。だからこそ、判断そのものと、その判断を説明できる記録の両方を、仕組みとして持っておく価値があると考えています。自社の輸出管理をどう固めるか迷っている方は、個別のご相談からお声がけください。まずは現状を確かめたい場合は、輸出管理体制の簡易診断から始めてもいいと思います。
大川原化工機事件は、輸出管理が単なる事務手続きではなく、人と会社の運命に直結する重い実務であることを、最も痛ましい形で示しました。私たちがこの事件から受け取るべきなのは、当局を責める言葉より前に、自社の判定を説明できるようにしておくという、静かな覚悟なのだと思います。
参考文献
[^4]: 貨物等省令第2条の2が定める噴霧乾燥器の3要件(水分蒸発量・平均粒子径10マイクロメートル以下・「定置した状態で内部の滅菌又は殺菌をすることができるもの」)と、オーストラリア・グループ合意にもとづく「殺菌」「定置した状態(in situ)」の解釈。CISTEC「東京高裁判決の法解釈部分についての解説」(2025年8月8日)。https://www.cistec.or.jp/service/houtaikei_saikochiku_data/20250808.pdf [^5]: 捜査機関側の解釈(乾熱による殺菌も要件に含むとする主張)と、その根拠とされた装置内部の温度実験。同CISTEC解説、および各報道。 [^6]: 東京高裁が逮捕を「合理的根拠が客観的に欠如していることが明らか」として国家賠償法上違法と認定した理由(最低温箇所の未実測、経産省の指摘の看過、捜査内部の慎重論など)。CISTEC解説PDF(判決の違法性認定部分)。https://www.cistec.or.jp/service/houtaikei_saikochiku_data/20250808.pdf [^7]: 2023年6月30日、国家賠償請求訴訟の法廷で、捜査に関与した警視庁公安部の警部補が「まあ、捏造ですね」「(逮捕勾留は)必要なかったです」と証言。幻冬舎plus(石原大史による法廷ルポ)。https://www.gentosha.jp/article/28480/ [^8]: 控訴審での捜査関係者の証言と、公安部幹部から経済産業省上層部への働きかけに関する判決の認定。東京新聞。https://www.tokyo-np.co.jp/article/359445 [^9]: 東京地裁2023年12月27日判決。逮捕・取り調べ・勾留請求・起訴を違法と認定し、国・東京都に約1億6,200万円の支払いを命令。時事通信・日本経済新聞ほか。 [^10]: 東京高裁2025年5月28日判決(太田晃詳裁判長)。一審を維持し賠償額を約1億6,600万円へ増額。時事通信(2025年5月28日)。https://www.jiji.com/jc/article?k=2025052800620&g=soc [^11]: 国・東京都が上告せず、2025年6月に判決確定。CISTEC解説PDF、各報道。 [^12]: 2025年8月7日の警察庁・警視庁・最高検の検証報告書公表(警視庁は19人を処分・処分相当、最高検は担当検事の懲戒処分を見送り)、および8月25日の遺族への謝罪。日本経済新聞。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD213UR0R20C25A8000000/ [^13]: 判決が認定した規制文言・通達の不明確さ(メーカーへの周知不足、マトリクス表への不記載)と、経済産業省が2025年6月4日に表明した省令改正を含む規制明確化の方針。CISTEC解説PDF。https://www.cistec.or.jp/service/houtaikei_saikochiku_data/20250808.pdf
