株式会社TIMEWELLの濱本です。
現場にこだわる一級建築士事務所へ。建築会社5代目として見つけた自分らしい在り方
大田区・蒲田の地で70余年の歴史を紡いできた藤田建設。代表の髙野は、父の跡を継ぎ5代目となりました。高野はなぜ、代表になる道を選んだのか?そして、会社をどのように考え、かたちづくってきたのか。改めて、代表の高野に聞きます。
父の背中を追って建築の道へ
藤田建設は、昭和22年に藤田千代松さんが大田区の蒲田で創業しました。水戸出身だった藤田さんは、同郷で大工をしていた私の父を誘ってくださったそうです。私が生まれた頃には、父は藤田建設の棟梁をしていました。
私は子どもの頃から、日曜になるとよく父にくっついて現場に行っていました。山積みになった砂で遊んだり、グローブを持っていって職人さんたちにキャッチボールをしてもらったり。現場は楽しい遊び場でしたね。父は現場の長で、自分の仕事をするだけでなく他の大工さんの仕事の段取りをテキパキとこなしていました。休憩時間にはパッと飯を食べて寝て、起きたら作業再開まで道具の手入れをしています。家に帰ってきても、穏やかで悪口や愚痴を言うこともありません。そんな父が好きでしたし、「すごいなあ」と思っていました。ぼんやりと、自分も父と一緒に働きたいなと思うようになりました。
そんな気持ちのまま成長し、土木系の大学に進学。その大学では建築の資格は取れなかったので、卒業後に1年間専門学校に通って二級建築士の資格を取りました。そして藤田建設に入社したのです。父には、一緒にやってくれと直接言われたことはありませんでした。でも、後から周囲に「息子が一緒にやってくれることになった」と話していたことを知りました。すごく嬉しかったみたいです。
仕事ぶりが信頼関係につながる
初めは見習いからのスタート。父にくっついてお客さんのところに行くと、お客さんが休憩時間にお茶やタバコを出してくれました。遊びに来てるのではなく仕事をしに来ているのに、そんなふうに扱ってもらえるのが不思議でしたね。お金を払ってもらっているのに、さらに「ありがとう」と言ってくれるんです。お客さんとの信頼関係があるから、こんな風に付き合っていけるのだと思いました。
信頼関係の根本には、徹底した品質管理があります。自分たちの仕事ぶりが伝わって、信頼関係が生まれていく。マニュアルに従った仕事ではなく、お客さん一人ひとりと関係性を築くことができる。そんな建築の仕事の世界を知り、面白さを感じました。
父は生粋の大工で、材木の加工から建物を立てるところまで、一から十までできる職人でした。私も大工の修行をしましたが、父のようにはなれないと感じていました。父にも「自分でやるのではなく、人を動かして仕事をした方が良い」と言われていて、現場監督の見習いをするなど管理畑の仕事が多くなりましたね。客先の先生よりアドバイスを受けて、一級建築士の資格にチャレンジし、無事取得することができました。
地域に仕事が広がる
会社は、初代の藤田千代松さんが亡くなった後を奥さんが継ぎ、その後創業期を共にした方が三代目になりました。私が30代になった頃、父がその後を継ぎ社長に就くことに。父と二人体制になり、これまでよりも精力的に働くようになりました。
父は地元町会の副会長もしており、地域での活動を大事にしていました。私たちのお客さんの多くも地域に住んでいますし、地域貢献活動は街の仕事の一つだと捉えていました。ボランティアだと手を抜く人もいますが、毎回きちっと取り組みましたね。そうすると、お互いに「この人とは付き合っていける」と思える方とも出会えて、仕事にも繋がっていきました。
バブル期が終わり経営的には難しい時期でしたが、父と一緒に働くのは楽しかったですし、前向きに仕事に取り組んでいました。しかし、そんな日々は唐突に終わりを迎えました。父が亡くなったのです。
父の喪失を乗り越える
父の死は突然で、なんの引き継ぎもできていませんでした。仕事に加え、町会や商店街の仕事もあって、これまで二人でやっていたものを全て一人でやることに。ましてや父は働き者だったので、その量は膨大でした。仕事があることがありがたい一方で、忙しすぎて精神的に追い詰められていきました。鬱病になってしまったのです。
会社も、自分の体調もうまくいかない。なんとかしたいと悩んでいたところ、父の葬儀後、檀家になったお寺が禅宗だったことから坐禅を知りました。北鎌倉に坐禅できる寺があるのを知り、週末になると泊まりでの坐禅会に参加するようになりました。
最初は、仕事や今の自分から逃げるために坐禅会に通っていました。でも、そこで素晴らしい師匠に出会い、坐禅に集中するうちに、段々と心が整ってきました。自分しかわからないことがあるので、仕事を休むことはできませんでした。でも、ずっと悩んでいると、ある時ふと答えが浮かんだりするようになったのです。
父とやっていた時はとにかく物件数が多かったので、自分でこなせる数になるよう少しずつ調整していきました。現場以外の仕事量も多かったので、できる部分はデジタル化するなどして省力化も図りました。
父は物を作るのが純粋に好きで、大工としてとても優秀でした。大工としてはとても父には及びません。でも私がやってきたのは管理職。お金の面も含めてしっかり管理して、信頼できる職人さんたちと一つ一つ丁寧に仕事をしていこうと決めました。土俵が違うので、父を乗り越えることはできないけれど、自分の性分に合う仕事をしていけば良いと考えるようになりました。
現場にこだわる一級建築士として
私は段取りをするのが好きな性分です。それを生かして、図面の作成から工程管理、調整まで、自ら現場朝礼を行い進捗確認し、細部をきちっと考えて仕事をするようになりました。
例えば、職人さんが現場に入るタイミング。さまざまな職種の人が無計画に来てもうまくいかないので、それぞれの職人さんが力量を発揮できるタイミングを見極め、調整します。
一級建築士は、「先生」と呼ばれて室内で指示をしているイメージが強いですよね。私はそうではなく、現場監督です。必要な時は自分で図面を描いて、やりたいことを現場に落とし、直接職人と相談して進めていきます。自分が思い描いたものがきちっと出来上がっていくのを見るのが嬉しいですし、私にとってのやりがいです。
無意識のうちに、自分に合う形に会社も変わって、それがオリジナリティになっていると感じています。ただ、変わらないものもあります。代々お付き合いしているお客さんです。父についていった頃に感じたお客さんとの信頼関係は、今もとても大事にしています。徹底した品質管理の上に、信頼関係がある。初老を迎え、人生経験を積んだこれからだからこそ、きちっとした仕事を続け、お客さんとの信頼関係をさらに育んでいきたいです。
このインタビュー記事は チャレンジャーアシスタントサービス「TIMEWELL」が制作しています。
TIMEWELLでは「育休・離職・メンタル」による人手不足でお困りの企業の業務代行・引き継ぎ支援を行っています。お困りの方でお問い合わせ・ご相談希望の方は「こちら」から可能です。
資料ダウンロードはこちら
担当ライター:粟村 千愛
