こんにちは、株式会社TIMEWELLの濱本です。
AIの活用が当たり前になるなかで、いま静かに、しかし深刻な問いが立ち上がっています。それは「自社の独自データを、外部のAIモデルにどこまで渡してよいのか」という問いです。
きっかけは、海外である話題が広がったことでした。大量の独自データを持つ製薬大手が、AI企業からの協業要請を断ったと報じられているのです。一見すると地味なニュースに見えるかもしれません。ですが、その背景にある理屈は、日本の製造業や医療、農業にそのまま当てはまる、極めて本質的なものだと私は受け止めています。この記事では、その一件を出発点に、独自データという「堀」をどう守るべきかを考えていきます。事実の部分は根拠を脚注で示し、私自身の意見にあたる部分は「筆者の見解」とはっきり分けて書きます。
製薬大手がAI企業の要請を断った、と報じられている
まず、報じられている内容を正確に押さえます。
投資家のDavid Friedberg氏が、ポッドキャスト「All-In」の2026年7月4日配信の回で、次のような趣旨を語ったと伝えられています1。すなわち、AI企業のAnthropicが、大量の独自データを保有するライフサイエンスや製薬の大企業に対して、「データを共有してくれれば、早期アクセスなど何らかの独自の価値を提供する」と持ちかけた、というものです。
そのうえでFriedberg氏は、自分が話したほぼ全員が「彼らは皆のビジネスをコモディティ化しようとしているのだ」と気づいた、という趣旨を述べたとされます2。コモディティ化とは、かんたんに言えば「どこの会社でも同じようなものが手に入る、横並びの状態」になることです。差別化がきかなくなり、価格でしか競えなくなる。企業にとっては、じわじわと利益の源泉を失っていく怖い言葉です。打診を受けた企業の大半は、データの共有が自社ビジネスのコモディティ化につながると結論づけ、断った、と報じられています。
ここで大切な注意書きをひとつ。これはあくまでFriedberg氏個人の発言であり、伝聞です。Anthropicや各製薬企業が公式にこう述べたわけではありませんし、番組本編の逐語を私が完全に確認できたわけでもありません。ですので、この記事では確定した事実としてではなく、「こう報じられている」という形で扱います。
一方で、背景となる事実として確認できることもあります。Anthropicは2025年10月20日に「Claude for Life Sciences」というイニシアチブを公式に発表しています3。これは創薬から商業化までのライフサイエンス研究を支援するもので、研究用のデータベースとの連携機能や、専門作業を助けるスキルなどを備えています。発表では、複数の大手製薬企業や研究機関が導入・提携先として挙げられていました。念のため申し添えると、こうして提携を公表している企業と、Friedberg氏が言う「打診を断った企業」が同じかどうかは分かりません。両者を安易に結びつけるべきではない、というのが公平な見方です。
もうひとつ強調しておきたいのは、これはどちらかが悪い、という話ではないということです。データと引き換えに便益を提供するというAnthropicの提案は、正当なビジネス提案です。そして、データを競争優位の源泉として手元に残すという製薬各社の判断も、合理的な経営判断です。ここにあるのは善悪ではなく、独自データの価値をめぐる利害の相違だと、中立に捉えるべきだと私は考えています。
その前提で、ここから先の「なぜ断るのが合理的なのか」という分析は、筆者の見解として読んでいただければと思います。ちなみに、自社がAIをどこまで活用できる状態にあるか、まず現在地を知りたい方は、AI活用度の無料診断で数分のセルフチェックから始めてみてください。
なぜ「断る」が合理的なのか。独自データは競争優位の「堀」だから
企業の強さを説明するとき、私はよく「堀(moat)」という言葉を使います。お城の周りをぐるりと囲む、あの堀です。堀が深く広いほど、敵は攻め込みにくい。ビジネスでいえば、競合が簡単には真似できない要素こそが堀にあたります。
独自データは、その堀の代表格です。たとえば製薬企業が長年かけて蓄積した実験データや臨床の知見は、他社が一朝一夕に用意できるものではありません。膨大な時間と費用、そして失敗の積み重ねがあって初めて手に入る。だからこそ、それを持っている企業だけが優位に立てるわけです。経営学ではこうした考え方を、企業が持つ独自の資源に競争優位の源泉を求める見方として整理してきました。データが価値を生むのは、それを独占的に握っているあいだだけ、という論点です。
ここに、データという資産のやっかいな性質が絡みます。データは、モノと違って複製が容易で、いくら使っても減りません。誰かに渡せば、渡した相手も同じものを持てる。そして、他社のデータと混ぜ合わされ、モデルという形に一般化されてしまえば、もはや「自社だけのもの」ではなくなります。
外部のAIモデルに独自データを学習させる、という行為を、この視点で見直してみてください。自社の知見がモデルの一部として溶け込み、そのモデルを他社も使うようになれば、かつては自分だけが出せた答えを、他社も同じように出せるようになる。堀の水が、少しずつ外へ流れ出していくイメージです。唯一の差別化要因を、自らの手で手放してしまう。これが「データを渡すとコモディティ化する」ということの中身だと、私は理解しています。
だから、製薬各社が要請を断ったとされる判断は、堀を守るという意味で筋が通っています。繰り返しますが、これはAnthropicの提案を否定するものではありません。データを渡す側にとって、その代償と便益が見合うかどうか、という計算の問題です。そして、独自データが競争のすべてを決めるような業界では、その計算は「渡さない」に傾きやすい、ということだと思います。
日本の製造・医療・農業データも、まったく同じ構造にある
さて、ここからが日本の私たちにとっての本題です。この話は、遠い海外の製薬業界だけのものではありません。日本企業がまさに抱えている構造そのものだと、私は考えています。
わかりやすいのが製造業です。図面、加工条件、不良の対策として現場に蓄積された勘やコツ。こうした設計・製造のノウハウは、外に出にくい暗黙知であり、だからこそ他社が真似できず、競争力の源泉になってきました。これをそのまま外部AIの学習に供すれば、日本の現場が何十年もかけて磨いてきた強みが、一般化され、再配布されうる。長年の蓄積が、気づけば横並びの標準になってしまう。製造業のデータ主権という論点は、決して大げさではないと思います。
医療データも同じ、いやそれ以上に慎重を要します。医療情報は価値が高いうえに機微性も高い。日本では次世代医療基盤法という枠組みで、医療情報の二次利用に厳格なルールが設けられています4。この法律は平成29年に成立し、令和5年の改正で仮名加工医療情報の仕組みが加わりました。医療データを外部に提供する際には、その権利の帰属や利用の範囲を、当事者がきちんと管理すべきだという前提が、制度としても裏づけられているわけです。
農業も例外ではありません。農林水産省が主導する農業データ連携基盤「WAGRI」では、生育や気象、土壌といった農業データの共有と活用が進められる一方で、そのデータの権利が誰に帰属し、どんな条件で使えるのかというルール整備も同時に進められてきました5。農業データが価値ある資産であり、その提供条件を当事者が握るべきだという考え方は、政策の側でも認識されているということです。
そして、この話は個々の企業の損得を超えた広がりを持ちます。日本政府は経済安全保障推進法などの文脈で、産業上重要な技術やデータの管理を政策課題に据えています6。企業の独自データや技術ノウハウが、実質的に国家的な資産の性格を帯びうる、という論点です。もちろん、これらのデータが法律で「国家資産」と定義されているわけではありません。ですが、製造・医療・農業といった分野の独自データを不用意に外部モデルへ流すことは、一社の競争力だけでなく、国全体の産業基盤にも関わりうる。そう捉えておくのは、行き過ぎではないと私は考えています。
対策その一|まず契約で「学習に使わせない」を明確にする
では、どうすればよいのか。ここからは対策の話です。
第一歩は、契約で「入力したデータを学習に利用させない」ことを、はっきり定めることです。主要なAIベンダーの多くは、法人向けのサービスで、API利用やエンタープライズ利用の際に「入力データを学習に使わない」設定を用意しています。この確認を怠らないだけでも、リスクの多くは下げられます。
この考え方は、行政の示す方向とも整合します。個人情報保護委員会は令和5年6月2日に「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」を公表しました7。そこでは、生成AIに入力した情報が機械学習に利用されうる点に注意を促し、事業者がその入力データを学習に使わないこと等を十分に確認するよう求めています。個人情報の分野で示されたこの姿勢は、技術情報や営業秘密といった独自データにも、同じ発想で当てはまると私は考えています。契約書に一文を入れる、設定を確認する。地味ですが、ここを飛ばしてはいけません。
ただし、正直に申し上げると、契約だけで安心とは言い切れません。約束の遵守はベンダーの運用や規約の改定に左右される面があり、ベンダーが所在する国の法域の影響も構造的に受けます。この点は、対になる記事であるAI時代のデータ主権と輸出管理で、法律の一次情報にあたりながら詳しく掘り下げています。あわせて読んでいただくと、契約の限界がよく見えてくるはずです。
対策その二|抜本的には「持ち出せない設計」に踏み込む
そこで、より確実な二つ目の対策です。守るべき独自データについては、そもそもAIベンダーが物理的に学習も持ち出しもできない設計にまで踏み込む。これが筆者としての本命の提言です。
具体的には、AIを自社の管理下で動かす、データやモデルの実行環境を国内に置く、外部とつながらない閉じた環境で処理を完結させる、といった方向です。入力から処理、出力までが自社の内側で閉じていれば、データがモデルに吸い上げられて一般化される、という経路そのものが存在しなくなります。堀の水が外へ流れ出す出口を、最初から塞いでしまうわけです。
世界のAIをめぐる議論も、実はこの方向と呼応しています。特定のベンダーへの囲い込みを避け、組織が自社データの置き場所や展開先を自分で選べる状態、すなわち主権を重視する動きが、開かれたモデルを支持する潮流とともに広がっています。この背景についてはオープンウェイトと米国のAIリーダーシップで整理しています。要は、モデルをどこから調達し、データをどこに置くかが、もはや技術選定ではなく経営判断になってきている、ということです。
もちろん、すべてを自社に閉じ込めるのが常に正解というわけではありません。学習に使わない契約や適切な匿名化、共同開発で得られる便益など、外部と組むことに合理性がある場面も確かにあります。だからこそ、一律に「AIにデータを渡すな」と煽るつもりはありません。大切なのは、守るべき情報とそうでない情報を分け、前者については渡さない・持ち出させない設計を選ぶ、という線引きです。その判断こそが、これからのデータ戦略の肝になると思います。
私たちがZEROCKというサービスを提供しているのも、まさにこの課題に手応えを感じているからです。ZEROCKは国内のAWSサーバーで動くエンタープライズ向けのAIで、社内のナレッジを外に出さずに活用する設計になっています。どの情報を誰がどう使えるかを管理するナレッジコントロールの仕組みを備え、独自データを自社の堀として保持したまま、AIの利便性を享受できるようにしています。今日お話しした「独自データを渡すべきか」という問いに、正面から向き合うために生まれたサービスだと考えています。
まとめ
長くなったので、要点を整理します。
- 大量の独自データを持つ製薬大手が、AI企業からのデータ提供の要請を断った、と報じられている(Friedberg氏の発言・伝聞。Anthropicや各社の公式見解ではない)
- なぜ合理的か。独自データは競争優位の「堀」であり、外部モデルに学習され他社データと混ざれば、唯一の差別化要因を自ら手放してコモディティ化するから(筆者の見解)
- Anthropicの提案も各社の判断も、いずれも正当で合理的。善悪ではなく、独自データの価値をめぐる利害の相違として中立に捉えるべき
- 日本の製造ノウハウ、医療データ、農業データもまったく同じ構造。次世代医療基盤法・WAGRI・経済安全保障推進法など、データの管理と権利帰属は制度上も重要論点
- 対策は二段構え。まず契約で「学習に使わせない」を明確化し(個情委の考え方とも整合)、守るべき情報については抜本的に、持ち出せない設計(自社管理・国内サーバー・閉じた実行環境)へ
制度やルールが固まるのを待っているあいだにも、データは日々どこかへ流れ続けます。まずは、自社にとって何が「堀」なのか、どの情報を絶対に外へ出してはいけないのかを棚卸しすることから始めてみてください。独自データを守りながらAIを活用する体制を具体的に検討したい方は、ZEROCKの担当までご相談ください。堀を守る設計を、目の前の業務に落とし込むところから、ご一緒します。
参考文献・一次情報
Footnotes
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All-In Podcast 第279回「The AI Ownership War Has Started」(2026年7月4日配信)でのDavid Friedberg氏の発言。本記事はFriedberg氏個人の発言・伝聞として扱う。二次まとめ(Podcast Alpha)経由で把握 https://podcastalpha.substack.com/p/ai-ownership-war-has-started ↩
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同上。Friedberg氏の引用とされる文言("They're approaching these large companies with large proprietary data sets and saying, if you share your data, we will give you early access, some sort of proprietary value." および "I think nearly everyone I've spoken with has woken up to the fact that they are trying to commoditize everyone's business.")は、番組本編の逐語ではなく報道・引用ベースであり、正確な字句は未確認 https://podcastalpha.substack.com/p/ai-ownership-war-has-started ↩
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Anthropic「Claude for Life Sciences」公式発表(2025年10月20日) https://www.anthropic.com/news/claude-for-life-sciences ↩
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医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律(次世代医療基盤法、平成29年法律第28号。令和5年改正で仮名加工医療情報を追加)e-Gov法令検索 https://laws.e-gov.go.jp/law/429AC0000000028 ↩
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農林水産省「農業データ連携基盤(WAGRI)」 https://www.maff.go.jp/j/kanbo/smart/wagri.html ↩
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経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律(経済安全保障推進法、令和4年法律第43号)e-Gov法令検索 https://laws.e-gov.go.jp/law/504AC0000000043 ↩
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個人情報保護委員会「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」令和5年6月2日 https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/230602_AI_utilize_alert/ ↩
