こんにちは、株式会社TIMEWELLの濱本です。
会社には、登記簿に載る代表者や、株主名簿に並ぶ株主がいます。けれども、その会社を本当に動かしているのが誰なのかは、書類の表面を眺めただけでは分からないことがあります。名前を貸しただけの代表者を表に立て、別の人物が背後で議決権を握っている、という構図は珍しくありません。人形劇の舞台で、表で動いている人形ではなく、幕の裏で糸を引いている人のほうを知りたい。その「糸を引いている人」にあたるのが、実質的支配者(じっしつてきしはいしゃ)です。英語ではBeneficial Owner、頭文字を取ってBOと呼ばれます。
この実質的支配者の情報を、すべての法人に届け出させる新しい法律を政府が検討している、と2026年6月26日に読売新聞が報じました[^yomiuri][^docomo]。マネーロンダリング(資金洗浄、犯罪で得たお金の出どころを分からなくする行為)の対策と、経済安全保障の強化が狙いだとされています。ニュースの見出しだけを見ると「届出が義務化された」と読めてしまいますが、私が調べた範囲では、まだ法律は成立していませんし、法案すら国会には出されていません。あくまで政府が方針を固め、早ければ2026年秋の臨時国会への法案提出を目指す、という段階です。最初にこの温度感を共有しておきたいと思います。これは確定した制度の解説ではなく、これから動き出すかもしれない話の交通整理だと受け取ってください。確定していない部分まで断定で書くと、かえって誤った備えにつながるからです。
今ある「実質的支配者リスト制度」は任意だ
新法の話に入る前に、すでにある仕組みを押さえておきます。日本には2022年1月31日から「実質的支配者リスト制度」が動いています[^moj116]。株式会社が自分から申し出ると、商業登記所(会社の登記を扱う法務局の窓口)の登記官が、提出された実質的支配者リストの内容を添付書類で確認し、保管したうえで、認証文の付いた写しを交付してくれる制度です。金融機関に口座を開くときなどに、その写しを「自社の実質的支配者はこの人です」という公的なお墨付きとして使えます。手数料はかかりません。
ここで大事なのは、この制度があくまで任意だという点です。法務省は、これが「任意の申出に基づいて実質的支配者リストの写しを発行するもの」であり、「申出をするかどうかも任意」だと明記しています[^moj116]。つまり、出したい会社が出す仕組みであって、全社に義務づけてはいません。対象も内国株式会社(特例有限会社を含む)に限られ、外国会社や、一般社団法人・財団法人、NPO法人などは入りません[^moj119]。
では誰が実質的支配者にあたるのか。法務省の整理では、その会社の議決権の50%超を直接または間接に持つ自然人が第一の候補です。そうした人がいない場合は、議決権の25%超を持つ自然人などが候補になります[^moj119]。あくまで生身の人間(自然人)まで遡るのがポイントです。たとえば、ある会社の株を100%持っているのが別の会社で、その持ち株会社の株の大半を一人の個人が握っているなら、その個人が実質的支配者になります。株主が会社であっても、そこで止まらず、最後にいる人間まで辿るわけです。日本のマネロン対策は、この任意のリスト制度に加えて、金融機関が口座開設や取引のときに実質的支配者を確認する仕組み、そして公証人(契約や定款を公的に証明する法律の専門家)が会社設立時の定款認証で確認する仕組みの、大きく三つで支えられてきました[^mof][^koshonin]。新法は、このうち任意にとどまっているリスト制度を、義務へと引き上げる方向だと報じられています。任意のままでは、本当に隠したい会社ほど申し出ないからです。
該非判定の属人化を、AIで解消する。
経産省2024年度データによれば、外為法違反の52%は該非判定起因。TRAFEEDなら、判定時間を約7割削減し、判定根拠を構造化データで保存できます。
報道で分かっていること、まだ分からないこと
報道の中身を、確かな部分とまだ曖昧な部分に分けて並べます。読売の報道によれば、新法を作る主体は政府で、目的はマネロン対策と経済安全保障の強化です。届け出させる情報は法人の実質的支配者で、対象は非上場を含むすべての法人だとされています[^yomiuri]。届け出先は「法務局などの公的機関」と書かれていて、ここはまだ幅のある表現です。そのうえで、捜査当局や関係省庁が迅速に照会できる仕組みにする、という方向性が示されています。誰が会社を支配しているのかを、当局が必要なときにすぐ引ける状態にしておく、というイメージです。
罰則については、虚偽の届け出に対して罰則を設けることも検討する、と報じられています[^yomiuri]。あくまで検討するという段階なので、刑事罰になるのか、行政上の制裁にとどまるのか、その内容はまだ固まっていないと読むべきです。届出を義務にしても、嘘の内容を出されては意味がないので、虚偽への抑止をどう設計するかは制度の肝になります。とはいえ、ここを断定的に書ける材料はまだありません。時期は、早ければ2026年秋の臨時国会への法案提出を目指すとされます。秋の臨時国会で必ず提出される、と決まったわけではなく、目指すという表現にとどまっている点も押さえておきたいところです。国際比較として、英国やドイツなどG7各国は、法人に実質的支配者の名簿の作成と政府機関への登録を義務づけており、こうした整備ができていないのはG7で日本だけだ、という指摘も紹介されています[^yomiuri]。ただ、これは読売報道の表現であって、各国制度の細部までは私のほうで一次情報を突き合わせきれていません。外国の制度については、報道による紹介として読んでいただくのが安全です。
逆に、まだ分からないことも多くあります。新法の正式な名称も、どの省庁が所管するのかも、法案の要綱も、現時点で公的な発表は確認できていません。届け出先が結局どこになるのかも、既存のリスト制度を延長して商業登記所に出すのか、それとも別の登録簿を新しく作るのか、確定していません。罰則の中身も検討段階のままです。次のFATF(このあと説明します)の審査時期についても、読売は「28年夏頃」と伝えていますが、正確な日程は政府やFATFの確定スケジュールを待つ必要があります。義務化された、成立した、と先走らないこと。報道で固まっているのは「政府が義務化の方針を決め、秋の法案提出を目指している」というところまでだという線引きが、今回いちばん大事なところです。
実質的支配者を知らないと、経済制裁も輸出管理も守れない
なぜマネロンだけでなく、経済安全保障まで理由に挙がるのか。ここが、輸出や貿易に関わる企業にとって決して他人事ではない部分です。経済制裁やエンドユーザースクリーニング(最終的に製品や技術を使う相手が、制裁対象や懸念のある組織でないかを確かめる作業)の現場では、相手の「顔」が誰なのかを正しく見抜けるかどうかが、すべての出発点になります。
たとえば、取引先の会社の名前そのものは、どの制裁リストにも載っていないとします。書類のうえではきれいに見える。ところが、その会社の議決権の大半を、制裁対象になっている人物や企業が握っていたとしたらどうでしょう。表の看板だけを見て取引すれば、実質的には制裁対象に物を渡したことになりかねません。米国の規制には、制裁対象者が直接・間接に合わせて50%以上を保有する企業は、その企業自体がリストに直接載っていなくても制裁対象として扱う「50%ルール」という考え方があります[^ofac]。新しく作った会社を一枚かませて素性を隠す、というのは制裁逃れの典型的な手口で、社名だけを照合していては、その一枚の裏側まで見えません。つまり、誰がその会社を最終的に支配しているのかを知らなければ、制裁逃れのために用意された「隠れみの会社」を見抜けないのです。輸出管理違反は、悪意のある会社だけでなく、相手の素性を確かめきれなかった真面目な会社が巻き込まれる形でも起こり得ます。そこが怖いところです。実質的支配者の把握は、マネロン対策であると同時に、経済安全保障の土台でもあります。新法が二つの目的を並べて掲げているのは、根っこで同じ問いを扱っているからだと私は理解しています。
私たちTIMEWELLが開発しているTRAFEEDは、まさにこの取引先審査と該非判定(輸出する製品や技術が規制リストに当たるかどうかの判定)、そして経済安全保障の実務を支えるAIエージェントです。取引相手や最終需要者を懸念リストと照合し、規制への該当性を判定し、刻々と変わる各国のルールに追従します。実質的支配者まで見据えた相手の素性確認は、人手だけで網羅するのが年々難しくなっている領域で、ここをAIで補うのが狙いです。輸出管理の足元をどう固めるかについては、以前に書いた企業の輸出管理実務もあわせて読んでいただくと、該非判定とスクリーニングの全体像がつかめると思います。自社の取引審査に実質的支配者の視点をどう組み込むか悩んでいる方は、TRAFEEDのサービス内容をのぞいてみてください。
なぜ義務化へ向かうのか――FATFの宿題とトクリュウ
義務化が議論される背景には、国際的な圧力があります。FATF(金融活動作業部会)は、マネロンやテロ資金供与の対策について各国の取り組みを審査する、いわば国際的な「番人」のような組織です。FATFは加盟国を定期的に相互審査し、その評価は各国の金融システムの信用に直結します。日本については、2021年8月30日に第4次対日相互審査の報告書が公表されました[^fsa]。日本はこの審査で、継続的な改善が必要な「重点フォローアップ国」に位置づけられました[^followup]。
審査では、法人の実質的支配者の透明性を扱う「勧告24」という項目が、当初は「一部履行」という厳しめの評価でした。その後のフォローアップで、2022年1月に始まった実質的支配者リスト制度の導入や、金融機関による継続的な顧客管理が評価され、「概ね履行」へと格上げされたとされています[^mojr24][^pwc]。ただし、これは網羅的な登記制度そのものではなく、代替的な手段として評価されたものだと理解しておくべきです。英独のように、すべての法人に登録を義務づける制度に届いたわけではありません。日本は次のFATF審査を2028年ごろに控えていると報じられており[^yomiuri]、ここで評価が下がれば、日本の金融機関の信用低下や海外取引の冷え込みにつながりかねない、という危機感が義務化を後押ししています。実際、政府は2021年に警察庁と財務省が共同議長を務める対策の政策会議を設け、2024年度からの新たな行動計画も動かしています[^mof]。
もう一つの背景が、国内の犯罪情勢です。警察庁は、明確な組織構造を持たず、匿名のやり取りで離合集散する犯罪グループを「匿名・流動型犯罪グループ」、いわゆるトクリュウと呼んでいます[^npa]。こうしたグループは、実態のない法人を「隠れみの」として使い、資金の流れを覆い隠すことがあると報じられています。誰が支配しているのか分からない会社が街に大量にあると、犯罪資金の追跡が難しくなる。空き家だらけの街では、誰がどこに住んでいるのか掴めないのと同じです。だからこそ、すべての法人に実質的支配者を申告させ、捜査当局がいつでも照会できる状態にしておきたい、という発想につながっているわけです。マネロン対策という国際的な宿題と、トクリュウという国内の現実が、同じ「会社の素顔を見えるようにする」という方向で重なっている、と整理できます。
混同しやすい「別の話」と、企業が今からできること
最後に、ニュースを追ううえで取り違えやすい点に触れておきます。今、法制審議会(法務大臣の諮問機関)では、会社法を改正して「実質株主」を把握する仕組み、たとえば機関投資家に株式取得の通知義務を課す案も議論されています[^nikkei]。名前がよく似ているので混ざりやすいのですが、これはコーポレートガバナンス(企業統治、株主と経営の関係を健全に保つ仕組み)を目的とした別の制度です。今回のマネロン対策・経済安保を狙いとした実質的支配者の届出義務化とは、目的も担当も異なります。報道のうえでも別件として扱われているので、二つを一つの話として理解しないよう気をつけてください。私もこの二つは別物として切り分けています。
では、法案がまだ出ていない今、企業は何をしておけばよいのか。私の考えでは、法律を待つまでもなく、自社の実質的支配者が誰なのかを正確に把握し、書類として整理しておくことが第一歩です。グループ会社が複雑に出資し合っている場合ほど、議決権を辿ると意外な個人に行き着くことがあります。あわせて、取引先審査のなかに「相手の実質的支配者は誰か」という観点を組み込んでおくと、いざ義務化されたときに慌てずに済みますし、制裁逃れの隠れみのを早い段階で察知できます。新法の対象が非上場を含む全法人になる可能性が報じられている以上、規模の大小を問わず関係する話になりそうだ、という心づもりは持っておいてよいと思います。
制度の中身が固まるのを待つ時間はあっても、足元の取引審査の精度を上げる準備は、今からでも始められます。自社の取引先審査やエンドユーザースクリーニングに実質的支配者の視点をどう織り込むか、社内の判定フローや確認書類をどう書き換えるか、具体的に詰めたい方は個別相談から声をかけてください。報道が動いてから対応に追われるより、論点を先に押さえておくほうが、結局は落ち着いて構えられます。
参考文献
[^yomiuri]: 法人の実質的支配者把握、新法で届け出義務…マネロン対策や経済安保で未整備はG7で日本のみ — 読売新聞オンライン(Yahoo!ニュース掲載)— 2026年6月26日
[^docomo]: 法人の実質的支配者把握、新法で届け出義務 — 読売新聞・NTTドコモ(dメニュートピックス掲載)— 2026年6月26日
[^moj116]: 実質的支配者リスト制度の創設(令和4年1月31日運用開始)— 法務省 — 取得2026年6月29日
[^moj119]: 実質的支配者リスト制度Q&A — 法務省 — 取得2026年6月29日
[^fsa]: FATF(金融活動作業部会)による第4次対日相互審査報告書の公表について — 金融庁 — 2021年8月30日
[^followup]: FATF第4次対日相互審査報告書の公表(日本は重点フォローアップ国に)— 三宅法律事務所 — 2021年
[^mof]: 国内のマネロン・テロ資金供与・拡散金融対策(政策会議・行動計画2024-2026年度)— 財務省 — 取得2026年6月29日
[^mojr24]: FATF勧告24(法人の実質的支配者)の格付け格上げ — 法務省(PDF)— 取得2026年6月29日
[^pwc]: FATF第4次対日相互審査結果と今後のAML/CFT対策 — PwC Japan — 2021年11月
[^npa]: 令和6年警察白書 特集「匿名・流動型犯罪グループに対する警察の取組」— 警察庁 — 2024年
[^ofac]: Entities Owned by Blocked Persons(OFAC 50パーセントルール)— 米国財務省外国資産管理室(OFAC)— 取得2026年6月29日
[^koshonin]: 実質的支配者となるべき者の申告書(株式会社用)— 日本公証人連合会 — 2022年1月
[^nikkei]: 機関投資家に株取得の通知義務を検討 法制審(会社法改正・実質株主・本件とは別トラック)— 日本経済新聞
