こんにちは、株式会社TIMEWELLの濱本です。
私は普段、企業の経営者や現場の方々と一緒に、AIを仕事にどう取り入れるかを設計する仕事をしています。そのなかで最近よく考えるのが、いま高校で学んでいる生徒たちが社会に出るころ、世の中はどうなっているのか、ということです。生成AIは数年で驚くほど進みました。文章を書く、絵を描く、プログラムを組む、といった「答えをつくる」作業の多くを、AIがそれなりの水準でこなすようになっています。
この変化は、高校教育の前提を静かに揺さぶっていると感じます。覚えた知識を正確に再現する力は、これまで学力の中心にありました。けれども、その力の一部はAIに置き換わりつつあります。では、これからの高校は何を育てればいいのか。国も同じ問題意識を持っていて、いま学習指導要領の見直しが動き始めています。この記事では、その制度の現在地を一次情報で正確に押さえたうえで、現場の先生に向けて、私なりの提言を書いてみたいと思います。少し長くなりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。先生ご自身のAIとの距離感が気になる方は、先にAIリテラシーの無料診断で現在地を確かめておくと、後半の話がより具体的に感じられると思います。
高校教育は、いまどこに立っているのか
まず、国がどう動いているのかを整理します。ここが分かると、現場の議論が迷子になりません。
学習指導要領はおよそ十年ごとに改訂されます。その次の改訂に向けて、令和6年(2024年)12月25日、文部科学大臣が中央教育審議会に「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」を諮問しました1。諮問というのは、大臣が専門家の会議に「これからの教育をどう設計すべきか、議論して答えを出してほしい」と正式に投げかけることです。この諮問を受けて議論が進み、令和7年(2025年)9月25日には、中教審の教育課程企画特別部会が「論点整理」を取りまとめています2。論点整理は、十三回の検討を暫定的にまとめた中間的な文書で、これから答申、そして改訂へと向かう途中段階のものです。名称も内容もまだ確定ではない点は、押さえておいてください。
この論点整理が、改訂論議を貫く「三つの方向性」を示しています。ひとつめは、主体的で対話的な深い学びをきちんと実装すること。ふたつめは、多様な生徒を包み込むこと。みっつめは、絵に描いた餅にせず現場で実現できるようにすること。この三つ目が私には印象的でした。理想を掲げるだけでなく、教師の過度な負担に頼らない設計にする、という現実感覚が前面に出ています。授業時数をこれ以上増やさないことを前提に、教科書の分量を精選し、教師に「余白」を生む。そういう言葉が公式文書に並んでいるのは、現場の疲弊への危機感の表れだと思います。
高校に関わる点も具体的です。論点整理には、高校段階の教育課程を柔軟にする項目が独立して立てられ、単位制度の柔軟化や、特定分野に強い才能のある生徒への特別な教育課程が検討されています。さらに、生成AIの発達を踏まえて情報活用能力を抜本的に高める方針が示され、それを「探究的な学びを支える基盤」に位置づけています。ここで注意したいのは、政策の名前です。高校向けの中核事業は「高等学校DX加速化推進事業」、通称DXハイスクールです。これは端末を全員に配る「GIGAスクール構想」の第二期(通称NEXT GIGA)とは別物で、混同されがちですが、狙いが違います。DXハイスクールは、情報や数学を重視したカリキュラムと、文理の枠を超えた実践的な探究に取り組む高校へ、環境整備の経費を支援する仕組みです。令和5年度の補正予算100億円を財源に、令和6年度はおよそ1,010校が採択され、一校あたり最大1,000万円が支援されました3。国が高校のデジタル人材育成に本腰を入れ始めた、その象徴だと受け止めています。
探究と生成AIは、対立するものではありません
現場では、生成AIと探究学習を対立するもののように語る空気が、まだ根強く残っている気がします。「AIに書かせたら、生徒が考えなくなる」という懸念です。この心配は自然なものですが、私は両者は補い合えると考えています。
前提として、用語を整理します。探究学習は、しばしばPBLと呼ばれます。プロジェクトベース学習の略で、生徒が自分でテーマを決め、調べ、仮説を立て、検証し、発表するまでを一連のプロジェクトとして進める学び方のことです。高校では2022年度から「総合的な探究の時間」が本格導入され、すでに現場に根づき始めています。一方の生成AIは、文章や画像やプログラムなどを自動でつくり出すAIの総称です。この二つは、じつは相性がいいと思うのです。
根拠は、文科省自身の姿勢にあります。同省が令和6年12月に公表した生成AIの利活用ガイドライン(Ver.2.0)は、学校での生成AI利用を一律に禁止も義務づけもしないと明記しています4。基本にあるのは「人間中心」という考え方です。そのうえで、こう述べています。手軽に情報が得られるデジタル時代だからこそ、学ぶことの意義を理解し、個々の情報の意味をつかみ、問題の本質を問うことが求められる、と。生成AIをツールとして使いこなし、一人ひとりが才能を開花できるようになることは重要だ、とも書いています。同時に、AIが誤った内容を出すこと、いわゆるハルシネーションを完全に防ぐのは極めて難しい、とも正直に認めています。
この立場に立てば、探究とAIの組み合わせ方は見えてきます。テーマ設定の壁打ち、仮説を広げる相談相手、下調べの入り口、文章の推敲。こうした場面でAIを使えば、生徒が本当に考えるべきところに時間を回せます。肝心なのは、AIの出力をそのまま答えにしないことです。出てきた内容を疑い、一次情報で確かめ、自分の言葉に言い直す。この検証の往復こそ、探究で伸ばしたい力そのものです。AIを禁じて考えさせるのではなく、AIを使わせながら「AIを疑う力」を育てる。私はこちらのほうが、これからの現実に合っていると思います。生徒に高度なものづくりまで挑ませたい先生には、高校生のためのAI開発ガイドも具体的な入り口になるはずです。
AIが答えを出す時代に、人が担う仕事は何か
もう一歩踏み込んで、AIができることと、人にしかできないことの線引きを考えてみます。ここが定まると、高校で何を鍛えるべきかが見えてきます。
いまのAIは、指示を受けて何かを生成するのが得意です。ソフトウェア開発の世界では、この性質を生かした新しい進め方が広がっています。たとえば「仕様駆動開発」という言葉があります。つくりたいものの仕様、つまり何をどう動かしたいかを人が言葉で丁寧に定義し、その仕様に沿って実装の大部分をAIに任せる進め方のことです。ここで問われるのは、コードを一行ずつ書く力よりも、何をつくるべきかを的確に言語化する力になります。研究の世界でも同じ変化が起きています。「AI for Science」という言葉は、AIを道具として科学研究そのものを加速させる取り組みを指します。膨大な実験データからパターンを見つけたり、新しい材料の候補を絞り込んだりと、人間だけでは扱いきれない規模の探索をAIが担い始めています。この動きはAI for Scienceの入門ガイドでも整理しています。
こうした技術は、現場に「アダプション」、つまり実際の業務への定着が進むほど価値を持ちます。ここで大事なのは技術の蓄積です。新しい道具は、一度触って終わりでは根づきません。試して、失敗して、勘所を記録し、次に生かす。その積み重ねが組織の力になります。高校でも、生成AIを一過性のイベントで終わらせず、探究や部活、日々の学習のなかで繰り返し使い、うまくいった使い方を生徒同士で共有していく。そういう地味な蓄積が、卒業後に効いてくると思います。ちなみに私たちが企業向けに提供している育成の設計でも、学んで終わりにせず、二か月ほどで実際に使えるものを自分の手で動かすところまで持っていくことを目安にしています。これは外部の統計ではなく、あくまで私たちが講座を組むときの狙いですが、手を動かして定着させる、という考え方は学校にも通じると感じます。
では、AIが生成を担うようになったとき、人には何が残るのか。私は三つあると考えています。ひとつは、問いを立てる力です。AIは問いに答えるのは得意でも、そもそも何を問うべきかは決めてくれません。ふたつめは、価値判断です。複数の答えが出てきたとき、どれを良しとするかは、その人の価値観と責任にかかっています。みっつめは、身体をともなう実体験です。実際に手で触れ、人と会い、失敗した記憶。論点整理も、人間ならではの身体性や実体験の重要性を十分に踏まえると明記しています。この三つは、高校でこそ厚くできる力だと思います。大学でのAI駆動の研究に関心のある生徒がいれば、大学におけるAI駆動開発とサイエンスのような先の景色を見せてあげるのも、進路の動機づけになるはずです。
「問い」を立てる力は、教養と文化資本から生まれる
ここで、少し理屈っぽい話をさせてください。良い問いや確かな価値判断は、どこから生まれるのか。私は、その人が積み上げてきた教養、いわば土台の厚みから生まれると考えています。
これを説明するのに便利な概念が「文化資本」です。フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した考え方で、お金以外の個人的な資産、たとえば知識や言葉づかい、教養、美的感覚といったものを指します。ブルデューはこれを三つに分けました。振る舞いや言語や嗜好として身についているもの、家にある本や絵画や楽器といった形のあるもの、そして学歴や資格として制度に認められたもの、の三つです。この文化資本の多い少ないが、じつは学力や進路と関係している、と彼は論じました。有名な例が、家にある本の数と学力の相関です。
これは抽象的な理論ではありません。今回の諮問に添えられた詳細版の資料に、印象深いデータがありました5。仮に小学校の35人学級を例にとると、家の蔵書数が少なく学力が低い傾向にある子がおよそ12.5人、不登校の傾向がある子が4.1人、家であまり日本語を話さない子が1.0人、特異な才能のある子が0.8人、といった具合に、多様な背景の子が同じ教室に混在している、という見立てです。もちろんこれは相関であって、単純な因果ではありません。それでも、生まれ育った家庭の文化資本の差が、スタートラインの差になりうる。この現実に、学校がどう向き合うかが問われています。論点整理が掲げる「多様性の包摂」も、正解主義や同調圧力からの脱却も、根っこはここにつながっていると私は読んでいます。
だからこそ、AI時代の教育は、逆説的に教養を厚くする方向に進むべきだと思うのです。答えを生成するコストが下がるほど、良い問いを立てられる人、複数の答えから何を選ぶかを判断できる人の希少性は上がります。その問いと判断を支えるのが、文化資本であり教養です。文科省が推進するSTEAM教育も、この文脈で読めます6。STEAMは、科学・技術・工学・数学というSTEMに、Aを加えたものです。このAは芸術だけを指すのではなく、文化や生活、経済、法律、政治、倫理までを含む広い意味で使われます。理数の力に、人文社会の教養を掛け合わせて、実社会の問題を解く。この設計思想は、AIを道具として使いこなす時代の土台づくりと、きれいに重なります。こうした「文化と教養を軸にした学び」を学校としてどう仕組みにするかは、私たちも一緒に考えたいテーマです。学校・教育機関向けの取り組みはWARP for Schoolsにまとめています。
日本の強みは、長く続いてきた文化にあります
最後に、いちばん伝えたい提言を書きます。AI時代の高校教育は、日本という国の文化を育てる教育であってほしい、ということです。
なぜ文化なのか。AIは世界中で同じように使えます。同じモデルに同じ問いを投げれば、国が違っても似た答えが返ってきます。だとすれば、これからの競争力は、AIをどう使うかという共通の土俵の上で、その国や地域ならではの何を掛け合わせられるか、で決まると思うのです。そして日本には、掛け合わせるべき固有の資産があります。それが、長く連続してきた文化です。
その連続性を象徴するのが、皇室です。日本の皇室は、初代とされる神武天皇の即位を起点とする数え方(皇紀)では、二千六百年を超える歴史を持つと言われています。2026年は皇紀でいえば二千六百八十年代にあたります。この皇紀は伝承にもとづく数え方なので、そのすべてをそのまま史実と断定することはできません。ただ、史実としてたどれる範囲でも、皇室は二千年近い連続した歴史を持つことがわかっており、現存する世界最古の王朝としてギネス世界記録にも認定されています。ひとつの家系がこれほど長く続いてきたこと自体が、日本という国の連続性を示す、世界的にも例のない事実です。
数え方には慎重でありたいと思いますが、皇室以外にも、検証できる連続性の証はいくつもあります。たとえば、寺社建築を手がける金剛組は西暦578年の創業で、1400年以上にわたって技を継いできた、世界最古級の企業として知られています7。奈良の法隆寺は七世紀初め、推古15年(607年)頃の建立とされ、現存する世界最古級の木造建築として世界文化遺産になっています。十一世紀初頭に書かれた源氏物語は、世界でも最も古い長編物語文学のひとつです。伊勢神宮の式年遷宮は、二十年ごとに社殿を建て替えることで、その技術を次の世代へ絶やさず伝えてきました。これらはいずれも、日本が世界的に見ても稀な、長く連続した文化と技の蓄積を持っていることを示しています。
私が言いたいのは、この連続性を、次の世代が自分の文脈として持てるようにすることが、教育の役割だということです。金剛組が1400年も続いたのは、技術を人から人へ、身体をともなって手渡し続けたからです。式年遷宮も同じで、二十年という周期には、技を実際に手を動かして継承させるという知恵が込められています。これは、先ほど述べた「身体をともなう実体験」「地道な技術の蓄積」と、そっくり重なります。AIが知識の再現を担う時代に、人が受け継ぐべきなのは、まさにこの手触りのある文化と技なのだと思います。
具体的に何をするか。難しく考える必要はないと思います。地域の伝統産業や職人を教室に招く。地元の歴史や神社仏閣を探究のテーマにする。古典を、受験のためだけでなく、いまの自分の問いにつなげて読む。生成AIに調べさせ、自分の足で確かめ、自分の言葉で語り直す。そういう学びのなかで、生徒は自分がどんな文化の連なりのなかにいるかを知り、そこから問いと価値観の土台をつくっていきます。AIという世界共通の道具を持った日本の若者が、日本ならではの文化資本を掛け合わせて、新しい価値を生み出す。私が思い描く未来は、そういうものです。もし学校でこうした学びを仕組みとして立ち上げたい、あるいは先生方のAI活用から相談したいということでしたら、WARPの担当までご相談ください。元大手企業でDXやデータ戦略を担ってきた専門家が、月次で伴走しながら、現場に無理のない形で一緒に設計します。
まとめ
長くなったので、要点を整理します。
- 国は次期学習指導要領に向けて動いています。令和6年12月の諮問と令和7年9月の論点整理が、深い学び・多様性の包摂・現場での実現可能性という三つの方向性と、教師の「余白」を掲げています
- 生成AIと探究は対立しません。文科省のガイドラインも人間中心の活用を掲げ、一律禁止も義務づけもしていません。AIを使わせながら「AIを疑う力」を育てるのが現実的です
- AIが答えの生成を担うほど、問いを立てる力、価値を判断する力、身体をともなう実体験の価値が上がります。これらは高校でこそ厚くできる力です
- その土台になるのが教養と文化資本です。答えが安くなる時代ほど、良い問いを立てられる人の希少性が上がります
- 日本には金剛組や法隆寺、式年遷宮に見るような、世界的にも稀な連続した文化と技の蓄積があります。この文化を次の世代へ手渡す教育が、AI時代にこそ効いてくると考えています
技術は道具であって、目的ではありません。その道具を何のために、どんな価値観で使うのか。それを決めるのは、これからも人です。だからこそ、高校の三年間で育てるべきものは、人としての土台なのだと思います。目の前の生徒が、AIを使いこなしながら、自分の国の文化を誇りに新しいものを生み出していく。その未来を、現場の先生と一緒につくっていけたらうれしく思います。
参考文献・一次情報
Footnotes
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中央教育審議会への諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」令和6年12月25日(文部科学省)https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/101/index.html ↩
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教育課程企画特別部会「論点整理」令和7年9月25日(文部科学省)https://www.mext.go.jp/content/20251020-mxt_kyoiku01-000045486_06.pdf ↩
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「高等学校DX加速化推進事業(DXハイスクール)」(文部科学省)https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shinkou/shinko/mext_02974.html ↩
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「初等中等教育段階における生成AIの利活用に関するガイドライン(Ver.2.0)」令和6年12月26日(文部科学省初等中等教育局)https://www.mext.go.jp/content/20241226-mxt_shuukyo02-000030823_001.pdf ↩
-
「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」ポイント(詳細版)令和6年12月25日(文部科学省)https://www.mext.go.jp/content/20250327-mxt_kyoiku01-000039494_2.pdf ↩
-
STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進について(文部科学省)https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/mext_01592.html ↩
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金剛組 公式サイト(世界最古の企業、西暦578年創業)https://www.kongogumi.co.jp/ ↩
