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なぜ今「スパイ防止法」なのか──ビジネスパーソンが知っておくべき全体像

2026-02-18濱本 隆太

日本で議論が本格化するスパイ防止法について、法案の柱、技術流出の実態、人権とのバランスをビジネスパーソン向けに解説。外国代理人登録制度やセキュリティ・クリアランス制度の強化が企業の輸出管理・バックグラウンドチェックに与える影響も整理。

なぜ今「スパイ防止法」なのか──ビジネスパーソンが知っておくべき全体像
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なぜ今「スパイ防止法」なのか──ビジネスパーソンが知っておくべき全体像

株式会社TIMEWELLの濱本です。

最近、ニュースで「スパイ防止法」という言葉を目にする機会が増えました。正直に言うと、私自身も最初は「映画の話でしょ?」くらいの感覚でした。ところが調べれば調べるほど、これはテック業界で事業をやっている人間にとって、かなり身近な問題だと気づかされたのです。

日本が長年にわたって開発してきた先端技術が、気づかないうちに海外へ流出している。しかもその経路は、ハッキングのようなサイバー攻撃ではなく、人を介したものが中心だという事実。これは一企業の損失では済まない話で、国の競争力そのものが削られていくということです。

政府と与党はこの問題に本腰を入れ始めています。一方で、法律が私たちの自由や人権を縛るのではないかという声もある。外国人の受け入れや国際共同研究が当たり前になった時代に、どうバランスを取るのか。この記事では、そうした論点を初心者の方にも分かるように、できるだけ噛み砕いて整理していきます。


スパイ天国と呼ばれてきた日本

日本には、スパイ活動そのものを直接取り締まる法律がありません。これは先進国の中ではかなり珍しい状態です。海外の情報機関関係者からは長年「スパイ天国」と揶揄されてきました。

では、スパイ行為が発覚したらどうなるのか。現行法では、窃盗罪や不正競争防止法といった個別の法律を当てはめるしかない。ただ、これらの法律はそもそも国家間の情報戦を想定して作られたものではないので、巧妙化するスパイ活動の実態には追いついていません。たとえば、口頭で技術情報を伝えるだけの行為は、物理的な窃盗にも不正アクセスにも該当しにくい。法律の網目をすり抜ける手口が横行しているのが実情です。

余談ですが、2026年1月には工作機械メーカーの元ロシア人職員が、製品開発のアイデアを口頭で漏洩した疑いで検察に送致されるという事件がありました。口頭での情報漏洩を立件すること自体が極めて難しく、この事件は現行法の限界を象徴しています。

米国、英国、ドイツ、フランス、韓国、オーストラリアなど、主要な先進国にはいずれもスパイ行為を直接罰する法律があります。日本だけがこの分野で法的な空白地帯を抱えている。この事実を知ったとき、私は正直驚きました。安全保障の議論が盛り上がる今だからこそ、この空白を埋める必要性は高まっていると感じます。


40年越しの宿題が動き出した

スパイ防止法の議論は、実は今に始まったことではありません。

1985年、自民党は「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を国会に提出しています。防衛や外交に関する機密を漏洩した場合、最高刑を死刑とするという非常に厳しい内容でした。当然のように世論と野党が猛反発し、「国家の秘密」の範囲が曖昧で政府の裁量次第でいくらでも広がるという批判を受けて廃案になっています [1]。

その後、2013年に特定秘密保護法が成立しました。防衛、外交、テロ活動などに関する情報を特定秘密に指定し、漏洩した場合の罰則を強化する法律です。ただし、これはあくまで秘密の漏洩を罰するもので、スパイ活動そのものを包括的に取り締まる法律ではない。穴は残ったままでした。

そして2026年。高市早苗総理大臣のもと、政府と与党は再びスパイ防止法の制定に大きく舵を切りました。同年2月の衆議院選挙で自民党が大勝したことを追い風に、夏には有識者会議を設置し、秋の臨時国会以降に法案を提出する方針です [2]。連立を組む日本維新の会も前向きな姿勢を示しており、40年越しの宿題がようやく動き出した格好です。


技術は「人」を通じて流出する

なぜ今、これほど法整備が急がれているのか。背景にあるのは、日本の先端技術が人を介して海外に流出し続けているという深刻な現実です。

かつての産業スパイといえば、サーバーへの不正アクセスや設計図の物理的な持ち出しが典型でした。今は違います。海外の政府や企業が、研究者、技術者、留学生といった人材を通じて、日本の企業や大学が持つ情報にアクセスし、本国に持ち帰るケースが主流になっています。

近年の代表的な事件を整理します。

事件名 何が起きたか
産業技術総合研究所事件 2023年 中国籍の主任研究員が、フッ素化合物の先端技術データを中国企業にメールで送信。在職中に中国の大学教授や企業役員を兼任していたことが発覚した [3]。
デンソー事件 2007年 中国人技術者が退職前に自動車関連製品の図面データ10万件以上を不正にダウンロードし、持ち出した [4]。
富士精工事件 2019年 中国籍の社員が不正な利益を得る目的で、自動車製造に使用される設計図などの営業秘密を複製した。

これらは表に出た事件だけです。警察が立件できなかったケースや、企業が評判を気にして公表しなかったケースを含めれば、実態はもっと深刻だと考えています。

特に注目すべきは、「千粒の砂」と呼ばれる情報収集戦略です。英国MI5のケン・マッカラム長官は、中国がかつてのように外交官を偽装した工作員を使うのではなく、ビジネスマンや研究者、留学生など多様なチャネルを通じて少しずつ情報を集めていると指摘しています [5]。一人ひとりが持ち出す情報は断片的でも、それが集まれば一つの技術を丸ごと再現できてしまう。砂粒を一つずつ集めて山を作るような手法です。

私がこの話を知ったとき、率直に怖いと思いました。テック業界にいる身として、自分たちが開発した技術が知らないうちに流出するリスクは他人事ではありません。

米国のシンクタンクCSISの調査によれば、中国のスパイ活動の約41%に民間人が関与しているとされています。つまり、プロのスパイだけを警戒していても意味がない。日常的な人の交流の中に、情報流出のリスクが潜んでいるということです。日本の大学や研究機関には毎年多くの外国人研究者が在籍しており、その大半は純粋に学問を追求する人たちですが、ごく一部の悪意ある行為が全体の信頼を損なう構図になっている。これは受け入れ側にとっても、善意で来日する研究者にとっても不幸な状況です。


法案の柱は何か

法案の全容はまだ公開されていませんが、政府と与党の発言や報道から、いくつかの柱が見えてきています。

外国代理人登録制度

最も注目されているのが、外国代理人登録制度の導入です。米国の外国代理人登録法、いわゆるFARAをモデルにしたもので、外国政府の代理人として日本国内でロビー活動や情報収集を行う個人や団体に、活動内容や資金源を政府に届け出させる仕組みです [6]。

ポイントは、スパイ活動を禁止するのではなく可視化するという発想にあります。誰が、どの国の利益のために、何をしているのかを透明にすることで、外国からの不透明な影響力工作を牽制する。言論の自由は守りつつ、安全保障も確保するという現実的なアプローチだと私は評価しています。

セキュリティ・クリアランス制度との連携

2025年5月に施行された重要経済安保情報保護活用法により、日本にもセキュリティ・クリアランス制度が導入されました。国の安全保障に関わる情報にアクセスできる人物を、政府がバックグラウンドチェックを行った上で認定する制度です [7]。

新たなスパイ防止法は、この制度をさらに強化する方向で検討が進んでいます。対象となる情報の範囲を広げ、評価基準を厳格化することで、内部からの情報漏洩リスクを下げる狙いがあります。

ところで、このセキュリティ・クリアランスという仕組みは、米英をはじめとする同盟国ではすでに当たり前のものです。日本がファイブ・アイズと呼ばれる米英豪加NZの5カ国による機密情報共有の枠組みに近づくためにも、この制度の充実は避けて通れません。同盟国と機密情報をやり取りするには、「この国なら情報を預けても大丈夫だ」という信頼が前提になるからです。


人権とのバランスをどう取るか

ここからが、個人的に最も考えさせられる論点です。

スパイ防止法には、人権侵害につながるのではないかという根強い懸念があります。1985年の法案が廃案になった理由もまさにそこでした。今回の法案でも、少なくとも二つの点で慎重な議論が必要です。

一つ目は、外国人に対するバックグラウンドチェックの問題です。セキュリティ・クリアランス制度が強化されれば、外国人研究者や技術者に対する身辺調査も厳しくなる可能性があります。安全保障上のリスク管理として必要な措置であることは間違いない。しかし、それが国籍や人種を理由にした差別的な扱いに発展してはなりません。

私は、バックグラウンドチェックは人権を侵害しないレベルでしっかりと対策していく必要があると考えています。具体的には、調査の基準を明確にし、手続きの透明性を確保すること。そして、調査結果に対する不服申立ての仕組みを整備すること。こうした制度設計がなければ、優秀な外国人研究者が日本を敬遠するようになり、結果的に日本の科学技術力が低下するという本末転倒な事態を招きかねません。

人を介して重要な科学技術が海外に流出することは、これまでの事件が証明しているとおり、現実に何度も起きています。だからこそ歯止めをかけなければならない。ただし、その歯止めの方法が、日本の開かれた研究環境や国際的な信頼を損なうものであってはならない。このバランスを取ることが、法案設計における最大の課題だと思っています。

二つ目は、表現の自由と報道の自由への影響です。国家の秘密の範囲が政府の裁量で際限なく広がれば、政府に不都合な情報の取材や報道、内部告発が萎縮する恐れがあります。ヒューマン・ライツ・ウォッチも、ジャーナリストや活動家など公共の利益のために情報を収集する者を明確に保護する規定が必要だと指摘しています [8]。国民の知る権利を守るための歯止めは、法案に絶対に組み込まなければなりません。


企業に求められる「守りの実務」

スパイ防止法の議論は、国会の話だけでは終わりません。法整備が進めば、企業の実務にも確実に影響が及びます。

特に、先端技術を扱う企業や海外との取引がある企業にとって、次の3つは今のうちから手を打っておくべき領域です。

取引先・共同研究者のバックグラウンドチェック

セキュリティ・クリアランス制度の強化にともない、取引先や共同研究者の身元確認はますます重要になります。相手が外国政府や軍事関連組織と関係がないか、過去に制裁リストに掲載された履歴がないか。これまで「信頼関係があるから大丈夫」で済ませていた部分を、データに基づいて確認する体制が必要です。

特に、外国人研究者の受け入れや外国企業との技術提携では、相手方の所属組織や資金源まで確認することが、リスク管理の基本になってきます。

輸出管理と軍事転用リスクへの対応

日本の先端技術が海外に持ち出されるリスクは、スパイ活動だけに限りません。通常の輸出取引であっても、最終的に軍事用途に転用される可能性がある。これが外為法における「キャッチオール規制」の対象です。

自社製品や技術が大量破壊兵器の開発に使われないか。取引先が懸念国の軍事エンドユーザーではないか。こうした確認を怠れば、意図せず外為法違反に問われるリスクがあります。スパイ防止法によって安全保障上の要求水準が上がれば、輸出管理の精度も当然求められるレベルが上がります。

AIによるスクリーニングの活用

こうしたバックグラウンドチェックや輸出管理の確認作業は、人手で行うには膨大な時間とコストがかかります。外国ユーザーリスト、SDNリスト、EARの規制対象リストなど、照合すべきデータベースは複数に分散しており、手作業での漏れは避けられません。

私たちTIMEWELLが開発した輸出管理AIエージェント**EX-Check**は、こうした課題を解決するために作りました。取引先の名称や所在地を入力すれば、複数の制裁リスト・規制リストと自動照合し、リスク判定と根拠を数秒で返します。

スパイ防止法の制定によって企業の管理責任が強化される流れは、もはや避けられません。法律ができてから慌てるのではなく、今のうちからAIを活用した効率的な管理体制を構築しておくことが、結果的に企業を守ることにつながります。


おわりに

スパイ防止法をめぐる議論は、安全保障という国家の根幹に関わる問題であると同時に、私たちの自由やビジネスのあり方に直結するテーマです。専門的で難しそうに見えますが、突き詰めれば「どんな社会を選ぶのか」という問いに行き着きます。

安全がなければ自由な経済活動は成り立たない。しかし、安全を追い求めるあまり自由を手放す社会は、私たちが望む未来ではないはずです。

これから国会で本格化する議論を、他人事としてではなく、自分たちの未来を左右する選択として見守っていきたい。そして、それぞれの立場でできることを考え、動いていく。私自身、テック業界で事業を営む人間として、この問題に正面から向き合っていくつもりです。

この記事が、皆さんがスパイ防止法について考えるきっかけになれば嬉しく思います。


参考文献

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